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身体で感じる解剖学

数年前、体調を壊したことからヨガを始めました。厳密に言うと、当時、ピラティスの持つ解剖学的側面に惹かれ、何度か個人レッスンを受けたりもして、その中で、偶然出会ったものがヨガでした。

当時は、哲学的な側面などをまったく理解せず、リハビリテーションや運動療法としての、ヨガのエッセンスを求めて、7~8ヶ月に渡り、朝から夜までやみくもに、ひたすらクラスを受け続けました。気がつくと、1ヶ月に100クラス以上、一番多い時には130クラスを超えていたものです。もともと、スポーツクラブなどのマシントレーニングなども、かじったりはしていたのですが、どうしても空気になじめなかったり、黙々と行う、一人努力みたいな事が苦手なようで、いつも長続きせず、入退会を繰り返していたのですが、ヨガだけは、不思議なくらいに、努力や忍耐という言葉とは無縁で、身近な場所にありました。

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ヨガのプラクティスが、長続きした理由には、鍼灸学校を休学してリハビリ中という当時の状況もありました。 仲良くなったクラスメートと離れ、置いてきぼりにされたような孤独感で一杯だった為、他人との接触を拒んでいた時期でもあったのです。"時間だけ早く流れて欲しい、目が覚めたら長く、悪い夢だったという事であって欲しい"と、いつもネガティブな願いを抱えていた気がします。そんな時期に、受動的なスタンスでも続けられるヨガは、僕にはもってこいのツールでした。

しかし、そんな不埒な理由だけでは、こんなにも長続きはしないはずです。 ヨガの何が、自分をここまで、かきたてるのか? そんな自分探しの時間が、さらにプラクティスを楽しくさせました。 マシントレーニングとの一番の違いは、何よりも熱中や集中度の差になります。 クラス後の開放感に似たようなものは、 小さな頃に味わった懐かしいような、甘い匂いがいつもしたものです。 そんな束の間の瞬間が、自分にとっては、唯一の充足であり、救いでもありました。 その頃から、リハビリテーションや運動療法以外の効果を、ヨガの中にある事を確信しました。 精神的なものや、哲学的なものが、自律神経に何がしかの作用を及ぼしているのだと。 例えば、僕は、未だに瞑想は苦手で、必ず船を漕ぐ状態、つまり睡眠に陥るのですが、 それでも、どこかに心地よさを感じているのも事実なのです。 例えば、僕はある日、意地の悪い自分になったりもするのですが、 それでも、ヨガのプラクティスの後は、器の小さな自分を流す事も出来るのです。 そんな風に、ヨガと関わり、ヨガを見つめて、ヨガに救われているのです。


ヨガ解剖学とは僕とヨガヨガ解剖学と医学との違い